リーフの旅

2019年05月

『蜜蜂と遠雷』 恩田陸 (幻冬舎)

 

 “音楽を連れ出す”

 

 もともとこの世界には音楽が溢れていること。必要としている誰かのために「才能」というものが与えられているのかもしれないこと。―この魅力的な音楽小説を通して感じた主旋律です。

 小さい頃からプロとして活躍していて姿を消していた栄伝亜夜、養蜂家の父について回る生活をしながらも規格外の才能をもつ風間塵、幼い頃に亜夜と出会い、音楽の才能に目覚めた全てを兼ね備えるマサル、楽器店に勤務しながらもコンクールに挑戦する最年長の高島明石。経歴も個性も豊かな4人のコンテスタントの挑戦を描きながら、音楽の神髄に迫る作品です。

 第一次予選から本選までの4人のプログラムがあらかじめ提示されていて、作者の音楽への愛情と綿密な取材のあとがうかがえます。実在の曲を楽しみながら本編の作品を読み進める楽しみもあります。

 ピアニストの世界は格式が高くて、ひとにぎりの才能しか生き残れない、というイメージですが、この作品のテーマは、私たちの身近に存在する音の世界に「閉じ込められた音楽を連れ出す」こと―これは亡き師匠から風間塵が受け取った宿題でもあります。それを体現するかのような風間塵の独自の型破りな、才能あふれる演奏は、他の才能を大いに刺激して、彼らの才能を花開かせます。

 一流のアスリートや芸術家同士の間で共有される言葉にできないような共感、理解、幸福の時間を、私たちも少しだけ体験できる美しい時間でした。

 鳥の声、風の音、雨の音、人のざわめき・・・耳をすませてみれば、たしかに音楽は私たちみんなのものであると、そしてたくさんの名曲たちもこの音の世界から生まれたみんなの財産なのだと感じることができました。


『風と行く者~守り人外伝』 上橋菜穂子 (偕成社)

 

 現在進行形の物語

 

守り人シリーズの外伝ですが、本編とかわらないどっしりとした存在感のある作品でした。

バルサは、かつて育ての親ジグロと用心棒としてともに旅をしたサダン・タラム〈風の楽人〉たちと再会し、再び用心棒として雇われることになります。

10代のバルサと20年後の現在のバルサのエピソードが交錯し、今回の旅の意味が描かれていきます。作者が一度書き始めて書けなくなってしまった物語、いろいろな出来事をへて再び動き出した物語ということもあるかもしれませんが、物語の中を流れるバルサの20年が分厚く濃密に感じられました。

今まで10代のバルサとジグロの旅は何回か描かれていますが、今回のバルサは若くて失敗はしても現在のバルサの要素もしっかり感じられて、躍動感があっていきいきとしています。ジグロとの関係も親子であり、相棒でもある、ということが伝わってきます。この10代のバルサあっての今のバルサ、本当に経験を積んで生き延びてきたのだなあとしみじみと実感しました。

作者もあとがきで書かれていますが、「弔うことは一様でない」ということに気づいたことが、物語を前に進める原動力になったそうです。バルサにとってのジグロの存在、他の登場人物たちにとっての失った大切な人たちの存在が、物語を動かしていると感じました。育てられたこと、共に過ごしたことは、長い時間を経た後でも人に強い影響を与えるのだと、亡くなった後もずっと共に生きていけるものなのだと、教えられた気がします。

まだまだ守り人シリーズの世界は現在進行形なのだと感じて、嬉しく思いました。


『本と鍵の季節』 米澤穂信 (集英社)

 

 名コンビの距離感

 

 タイトルと本のたたずまいがいいな、と思った。

 ミステリーではあるけれど人が死ぬことはなく、本にまつわる謎には身近な人たちの思いが隠されていたりする。

 謎を解くのは2人の図書委員の高校生男子。

 だから物語のたちかえる場所は高校の図書室、というのもイメージしやすい。

 図書委員として出会った2人はなんとなく一緒にいるうちにウマが合い、お互い少しずつ違った観点の推理力を持ち合わせていたから、日常の中の事件の謎を共に解いていくうちにいいコンビになっていく。

 それでも、そのつかず離れずの心地よい距離感が、プライベートに関わる謎を解く中で接近しすぎてしまってあやうくなったりもする。

ストーリーも登場人物も身近にありそうでなさそうな既視感が魅力なのだと思う。


『柳宗悦 〈人と物1〉』 柳宗悦 (良品計画)

 

 ともに暮らす美しいもの

 

無印良品から出版された人と物をつなぐ人物シリーズの1冊です。

柳宗悦は日本民藝館を設立し、日本に「民藝運動」を広めた人でもあります。

名もない工人たちの手仕事に美を見出し、光を当てた柳宗悦のエッセイ4

と愛用品の写真が収録されています。

「有名、無名は物への最後の尺度としては力が弱い」と考えていた柳さんは、何にもとらわれない純粋な眼で美しいものを探し続け、やがて人々の生活の中になじみ、使いやすく、何気なく存在する民藝の手仕事にたどりつきます。

美しさの基準や感じ方は多様であると思いますが、柳さんはそれまで人が気づいていなかった(言葉で表現されていなかった)新しい美を発見したのだと思います。

素朴で自由で温かみのある何ともいえない美しさを人々に伝えるために綴られた文章そのものも、工芸品のように味わいのあるものです。

美術館で鑑賞する美術品とは異なり、生活の中で使われてはじめて輝き出す類の美しさは、誰にとっても身近なもので、私たちの生活を潤すものです。

もうひとつ心に残ったことは、分業で多くの器を作り出す人々の仕事についての記述です。同じ形、同じ絵を繰り返し作る仕事が、技術をきわめつくして虚心となり無に帰ること、個々の能力や気質の違いが分業を経て器としてよくまとまっていくことの不思議。

「個性の角が柔らぐ」―そういう美しさもひとつのあり方なのだと知りました。



このページのトップヘ